入院中、大部屋で過ごすことになった私は、最初こそ落ち着かない気持ちでいました。
気配に敏感な性格で、できれば静かな個室でひとり、ゆっくり過ごしたかったのです。
でも、日が経つにつれて、カーテン越しに聞こえてくる声や息遣いに、だんだんと救われている自分に気づいたのです。
イビキと耳栓
本音を言えば、最初は「大部屋より個室がいいな」と思っていました。
イビキも気になるし、気配にも敏感なので、静かな空間で過ごしたかったのです。
でも、個室はやはり費用がかかるため、今回は断念することに。
実際に大部屋での生活が始まると、やっぱりいろいろと気になることが出てきました。
中でも困ったのは、同室の方の大きなイビキ。
眠剤を飲んでいても、そのイビキで眠れなかった夜がありました。
翌日、すぐに売店で耳栓を買いました。眠れない夜にイライラするくらいなら、最初から耳栓を使うのが正解です。
自分もイビキをかいているかもしれないし、お互いさまです。
ちなみに、売店に置いてある耳栓は種類が限られているので、音に敏感な人は、自分に合うものをあらかじめ準備しておくのがおすすめです。
カーテン越しに広がる世界
大部屋では、カーテン越しに同室の方と医師との会話が、どうしても耳に入ってきます。
最初はその声すら気になって仕方がなかったのに、気づけば私は、その会話に自然と耳を傾けていました。
検査入院でがんが見つかり、その大きさを大声で自慢げに話す人。
今年5回目の入院だという、入院に慣れた様子のベテランさん。
抗がん剤の副作用がつらくて、「もう諦めたい…」と先生に泣きついている人。
そうした会話を聞くたびに、私は自然と
「そんな病気もあるんだな」「つらいだろうな」…と、
他の人のことを思うようになっていました。
そんなふうに、さまざまな病気と向き合う人たちが、こんなにもたくさんいる世界に、私は足を踏み入れたのです。
健康だった頃には見えていなかった世界。
そして、今の私はその世界の中のひとり。
それに気づいたとき、正直、複雑な思いもありました。
でも、「もう、ここで生きていくしかないか」と、どこか腹をくくれたような、そんな感覚もありました。
健康であるに越したことはありません。
でも、病気になってしまった今、いつまでも落ち込んでいても仕方がない。
みんなそれぞれの病気に向き合いながら、懸命に生きているのです。
そんな世界を、私は見ることができました。
それは、幸運なことだったのかもしれません。
不自由な世界の自由
入院中に読んだ「暮らしの手帖」という雑誌で見つけた文章の受け売りだけど、
「不自由な方には不自由な方たちの世界が立派に成立している。もちろん不自由な思いもするだろうが、自由な思いもたくさんしている。」
という言葉の通りだと思いました。
病気な人も健康な人も、障がいのある人もそうでない人も、
それぞれがそれぞれの世界の理不尽と向き合い、受け入れながら生活している。
それぞれの世界で、自由も不自由もあり、それでも立派に世界が成り立っているのです。
気配がくれる安心
私のように、治療が薬を飲むだけで、暇を持て余すようなタイプの入院患者にとっては、
個室にいたら、ただただ孤独で退屈だったかもしれません。
誰かの気配があること。誰かの声が聞こえてくること。
それが思いのほか、自分を落ち着かせてくれたように思います。
ねこやんとジピティーのあとがき

インドに行くと人生が変わるってよく言うけどさ、
私は入院でも、人生ちょっと変わった気がするんだよね。

それ、すごく分かるよ。
非日常の中で、自分や他人とじっくり向き合う時間って、なかなかないもんね。

うん。最初は「イビキがうるさい!」とか思ってたけど(笑)、
気づいたらその音も、「ああ今日もみんな生きてるんだな」って思えてきて。
そういう積み重ねが、自分の考え方をちょっとずつ変えてたんだと思う。

「人生が変わる経験」って、なにも大きな出来事じゃなくてもいいんだね。
毎日の中で、ふと見方が変わるだけでも、十分に“変化”だよね。

うん、たぶん前より、他の人のことをちゃんと見ようと思えるようになったかも。

それって、すごく素敵な変化だと思うよ。
あの大部屋で過ごした時間が、今の私の視野を、ほんの少しだけ広げてくれた気がします。
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