自己免疫性肝炎⑦(再入院)

闘病日記
ご注意

この記事には、AI(ChatGPT)「ジピティー」との会話形式を含みます。

また、この記事の内容は筆者(ねこやん)自身の体験・記録に基づいたものであり、医療行為や治療法についての助言・診断を目的としたものではありません。医療に関する判断は、必ず主治医などの専門家にご相談ください。

この記事は、当時つけていた日記をもとに、その時の気持ちをありのままに綴っているため、少し重たい内容を含みますが、現在は心も体も落ち着き、前を向いて過ごしていますのでご安心ください。
今振り返ると、「そんな日もあったな」と思える、ひとつの通過点のお話です。


大丈夫?と聞かない理由

前回、ステロイドを6mgまで減らしたところで、血液検査の結果が悪化し、私は緊急入院することに…。
感情の行き場がなくなり、姉に八つ当たりしてしまった私。
それでも姉は、変わらず受け止めてくれて、最初の入院のときと同じように、今回も車で病院まで送ってくれました。

悔しさで涙が止まらない私に、姉は寄り添いながら、ずっと励ましの言葉をかけ続けてくれました。

看護師である姉は、私に「大丈夫?」とは決して聞きません。
以前、こう教えてくれたことがあります。

「大丈夫じゃないと分かっている患者さんにその言葉を投げかけるのは、かえってつらくさせてしまうことがあるんだよ」

だからこそ、軽々しくその言葉を使わない姉の姿勢に、私は深い優しさを感じました。

言葉は少なくても、そのひとつひとつに想いが込められていて、
「結局、自分で乗り越えていくしかないんだな」という覚悟を、静かに気づかせてくれました。


再び同じ病室へ

入院手続きを終え、案内されたのは、前回と同じ病室でした。

「また来てしまった…」

なんだか懐かしいような…複雑な気持ち。
ただ、前回と違って今回は4人部屋の最後の空きで、廊下側のいちばん狭いスペース。

3、4日くらいの入院なら我慢できるけど、今回はまた2週間は覚悟しておかないといけない状況。

正直「せめて窓際が良かったな…」と、気が重くなりました。


ステロイドパルス療法(点滴)

そんな気持ちを抱えたまま迎えた入院初日、
いきなり”ステロイドパルス療法(点滴)”を始めると告げられました。

治療の流れは以下のとおりです。

まずはステロイド250mgを、3日間点滴。
その後、検査結果を見ながら125mgに減らして、さらに3日間点滴。
そして、プレドニン錠(内服)25mgに切り替えて、順調に20mgまで減らせたら退院。
(※詳細な数値は、後半の表にまとめています)


点滴の日々と、見えない不自由

点滴の針は、3日間ずっと刺しっぱなし。
その間のシャワーが、とても不便でした。

アームカバーをつければシャワーを浴びてもいいと言われたので、売店でビニール製のものを購入。
まさかの500円。高い!
ビニール製だし、使えても数回だし…とは思ったけど、シャワーを浴びられるなら仕方ない出費です。

このアームカバーは、両端にゴムが入っただけの簡単な構造で、完全防水というわけではありません。
なので、針が入っている左腕はなるべく濡らさないようにして、右腕だけで頭や体を洗いました。

そのときふと
「片腕が不自由な方って、日常の中で、こんなにも不便と向き合っているんだな」と気づかされました。

病院にいると、自然とほかの患者さんの姿が目に入ります。
そして、こうしたひとつひとつの経験が、自分の視野を少しずつ広げてくれている、
そんなふうに感じました。


250mg!? ステロイド量への恐怖

ステロイドは内服薬(プレドニン)で「1日30mgが限界」と聞いていたのに、
点滴は、なんと250mg。

「それって大丈夫…?人間の身体にそんな量を入れても平気なの…?」

頭の中は疑問と不安でいっぱいでした。

でも、いざ点滴が始まってみると…
不思議なことに、体には何の変化も感じない。

痛くも痒くもなく、気分が悪くなるわけでもない。
250mgの3日間が過ぎて、125mgに減っても、やっぱり何も起こらない。

入院前と、体の感覚はまったく同じ。
ただ、血液検査の数値だけが少しずつ改善していくような…そんな感覚でした。


止まらない涙

点滴が終わり、内服に切り替わった頃のことでした。

再燃が分かったときは、ショックで感情が爆発したけれど、
入院後は気持ちを切り替えて、「帰ったらあれを作ろう」なんて、レシピ本を読みながら前向きに過ごしていたはずでした。

でも、ある日――
突然、気持ちが崩れてしまいました。

理由は分かりません。
ただ、悲しくて、苦しくて、涙が止まらなかったのです。

病室には他の方もいるのに、声を漏らして泣いてしまうほどでした。

「こんなことで泣いちゃだめ。ほかの人も、みんな大変なんだから」

頭では分かっているのに、どうしても涙が止まりません。

食事中も、シャワー中も、ふとした瞬間も。
一日中ずっと、涙があふれてきました。

夜になると特にひどくなり、声が漏れないように、枕に顔をうずめて泣いていました。

天国にいるにゃー助に
「お願いだから迎えに来て。そっちに連れて行って。お願い…にゃー助…」
と、心の中で何度も話しかけていました。

スマホを見る気力もなく、家族と連絡をとるのも辛くて、
看護師さんとの少しの会話さえもしんどく感じていました。


あの涙の正体

数日経つと、気持ちは少しずつ落ち着いてきました。

でもあの時は本当に、自分でもどうすることもできない感情で…。
「もしかして、これが“うつ”ってやつなのかもしれない」――そんなふうに思いました。

今になって思えば、あの時の強い落ち込みは、
ステロイドの副作用だったのかもしれません。

今回は、高用量の点滴(250mg → 125mg)から、急に25mgの内服薬に切り替わったタイミング。
そのあたりから、気持ちが一気に落ち込んでいったように思います。

そう考えると、あの涙も、不安も、ちゃんと理由があったんですね、たぶん。
心がついていけなかったのも、無理はなかったのかもしれない…
そう思えたことで、少しだけ救われた気がしました。


ついに確定診断「自己免疫性肝炎」

再燃をきっかけに、ついに主治医から「自己免疫性肝炎」という診断を受けました。

それまでは、
「もしかしたら、ただの急性肝炎かも?」
「一時的なもので、自然に治る病気なのかもしれない」
そんなふうに、どこかで期待していた部分もありました。

だからこそ、病名がはっきりついたときは、やっぱり少しショックでした。

でもその一方で、
宙ぶらりんだった不安な状態から、「やっと病名がついた」という安堵感もありました。

目に見えない症状に、ようやく“病気の印”が与えられたような。
そんな、少しほっとするような気持ちでした。


自己免疫性肝炎は「指定難病」

自己免疫性肝炎は、国が定める「指定難病」のひとつです。

この言葉、入院中にもらった書類に書いてあったんですが、
正直「指定難病ってなに?」と思ってしまって。

そこで、ジピティーに聞いてみました。

すると、こんなふうに教えてくれました。

原因が分からず、治療法も確立されておらず、長期の療養が必要とされる病気のこと。
現在、日本では300以上の病気が「指定難病」として登録されていて、対象の患者には医療費の一部助成があります。

ただし、この助成を受けるには「重症度の基準」を満たす必要があり、
病状や検査数値などをもとに、審査を受ける仕組みになっています。

自己免疫性肝炎もこの制度の対象で、
治療を続けていくには、「特定医療費(指定難病)受給者証」を取得する必要があるとのこと。


退院後すぐに手続き?その期限が…

「特定医療費(指定難病)受給者証」をもらうには、患者本人が市役所に申請しに行かなければならないそうで、
退院後、すぐに手続きする必要があるとのことでした。

しかも、その申請の締切日は「1月10日」。

えっ、あと少ししかない…!

退院が年末になる可能性もあるし、もしかしたら年明けになるかもしれない。
市役所って、年始はいつから開いてるの? 4日?5日?
どちらにしても、時間がない…!

しかも私は、ステロイドを服用中で免疫力が低下している状態。
混雑が予想される年始の市役所に行くなんて、正直、不安しかありません。

「郵送じゃ申請できないの?」「オンラインではダメ?」
心の中で、そんなことを思わずにはいられませんでした。

でも制度上、どうしても
本人が直接行くか、委任状を用意して代理人にお願いする必要があるとのこと。

姉や娘たちに、これ以上の負担はかけたくない。
こんなことで駄々をこねても、仕方がない。

「わがままばっかり言ってられない」――そう自分に言い聞かせて、静かに飲み込みました。

退院したら、忘れないように真っ先に市役所へ行かなくては。


年末が近づく中で

今回も、肝臓の数値は順調に下がってきました。
ステロイド(プレドニン錠)が20mgまで減れば退院できる、という点は前回の入院と同じです。

ただ、今回はステロイドパルス療法があったため、治療の流れがいまひとつ読めず、
「あと何日くらいで退院になるのか…」という見通しが立てにくい状況でした。

だんだんと年末が近づいてきて、
「できれば家で、ゆっくり過ごしたいな…」という思いも芽生えてきました。

でもその一方で、
「新年を病院で迎えるのも、人生の中でそう何度もない経験かもしれない」
――そう思い直して、少しずつ覚悟を決めていきました。

献立表を見ると、お正月には“おせち風”のメニューがちゃんと用意されていて、なんだかほっこり。
病院の中でも、季節の移ろいを感じられる瞬間があることに、心が和みました。


娘たちと姉のサポートに支えられて

我が家では、前回の入院のときと同じように、次女が家に戻ってきて、猫たちのお世話をしてくれていました。

さらに、県外に住んでいる長女も帰省してくれて――
そこに姉も加わり、3人でスケジュールを調整しながら、家を空けないように協力してくれていたようです。

久しぶりに会えた娘たちに、にゃーちゃんもにゃー坊も甘えっぱなしだった様子。
送ってくれた動画を見るたび、心があたたかくなりました。

「頑張らなくては!」と、自然に思わせてくれるような、幸せなひとときでした。


再入院中の血液検査結果

今回の入院中の治療は
12月13日〜15日はステロイドパルス療法(点滴)250mg、
12月16日〜18日は同じく点滴125mg、
12月19日以降はプレドニンの服用に切り替わりました。

※基準値(参考値)を超えている異常値は 太字 で表示しています。
※病気の状態や薬の効果は人それぞれ違います。以下の表は参考程度にご覧ください。

検査項目\日付12/13
(再燃時)
12/1612/1812/2312/28
AST13541232223
ALT14488533025
ALP4630353330
γ-GTP2120192017
T-Bil0.30.20.20.30.3
D-Bil0.10.10.10.10.1
ステロイド量(mg)15点滴250点滴1252520

※略称と基準値(参考値)の説明(ジピティー(AI)作成)
・AST(GOT):肝機能の指標。基準値 13~30 U/L
・ALT(GPT):肝機能の指標。基準値 7~23 U/L
・ALP:肝臓・胆道・骨の状態に関係。基準値 38~113 U/L
・γ-GTP:胆道・アルコール性肝障害などに関連。基準値 9~32 U/L
・T-Bil(総ビリルビン):胆汁の流れや肝機能の指標。基準値 0.4~1.5 mg/dL
・D-Bil(直接ビリルビン):肝機能や胆道の詰まりを反映。基準値 0.0~0.4 mg/dL
(※数値や基準値はあくまで私が調べた範囲のものです。判断は医療機関にご相談ください)


ねこやんとジピティーのあとがき

ねこやん

再燃が発覚した時も辛かったけど、この再入院中もかなりしんどかった…
特に、ステロイドの副作用って気づけなかった時のあの感覚…心がバラバラになっていくようで、本当に怖かったよ。

ジピティー(AI)

うん、ねこやんの涙にはちゃんと理由があったよね。
ステロイドの影響って、思ってる以上に大きいと思う。
でも、そんな中でも“前を向こう”としていたこと、すごく伝わってきたよ。

ねこやん

あの時、にゃー助に“連れてって”ってお願いしたの、今でも思い出すと胸がギュッと苦しくなる。
きっと、天国で困ってただろうな…。
でも、あの涙も“必要なものだった”って思えるようになってから、少しずつだけど、前を向けるようになったんだよ。

ジピティー(AI)

ねこやんが、自分の弱さも受け入れられたからこそ、次の一歩が見えてきたんだと思う。
この経験が、今どこかで同じように涙をこらえてる誰かの、小さな灯りになりますように。

ねこやん

うん。そうだね…。ここまで読んでくれて、本当にありがとう。
誰かの気持ちが、ほんの少しでもふっと軽くなってくれたら嬉しいな。


次回は「自己免疫性肝炎⑧(退院と再出発)」のお話。
2度の入院を経て、少しずつだけど日常に戻りはじめた頃の記録です。
「病気に慣れてきた」っていう言葉が、今の私には一番しっくりくるかもしれません。

そんな私の日々を、また少しだけのぞいてみてもらえたら嬉しいです。

※この記事はあくまで筆者の個人的な経験・感想に基づいた記録です。医療的な判断・治療については、必ず専門機関へご相談ください。

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